【稽古レポート】ドラマみたいに楽しめる世話物の世界[源氏店]

yasu今回『源氏店』にて、和泉屋番頭・多左衛門役、蝙蝠安(こうもりやす)役で出演させて頂く僕は、前回武蔵坊弁慶役で出演させて頂いた『勧進帳』と、似て比なるプレッシャーを感じています。理由は、『源氏店』が、『勧進帳』と違って、“世話物”だからです。

そもそも歌舞伎の演目には、大きく分けて三つのタイプがあります。
1つ目は“時代物”。これは、公家や武家社会などで実際に起こった、事件やお家騒動などをテーマにしたものです。例えば『勧進帳』は、平安末期に、頼朝・義経間で生まれた亀裂が巻き起こした争いの中の一部分です。
2つ目は、“舞踊劇”です。これは、どちらかというと踊りが中心で、三味線、鼓、長唄などの伴奏に合わせて踊るものです。前回、舞踊劇は、『墨塗り』が上演されました。
そして、3つ目が“世話物”です。これは、ほとんどノンフィクションで作られている、おとぎ話のようなものです。それでも、中には時代物のように実際の出来事を含む演目もありますが、その場合、時代物のようなお家騒動などではなく、心中や仇討を題材にしていて、登場する実在していた人物も、ところどころ身分や職業、性格などが本人と変わっているのがほとんどです。

“世話物”と“時代物”で、どうしてプレッシャーが異なるのか、また、“世話物”は何が難しいのか。事実、世話物は時代物よりも難しく、お稽古も、みんな時代物以上に苦労します。
世話物をするにあたって、一番強く感じるプレッシャーは「自然なしゃべり方、動作をすることが出来るのだろうか」ということだと思います。

この間、学校の音楽の授業で、「古典を学ぼう」ということで、短いながらも、「京鹿小娘道成寺」という舞踊劇と、「三人吉三巴白浪」という世話物を観る機会がありましたが、同級生の反応はいまひとつでした(笑笑)。
しかし、これは仕方がないことなのかもしれません。文明大国である日本の今日の生活で、会社に、日本固有の衣類である浴衣をき、下駄を履いて、風呂敷に荷物を詰めて出勤する男性など、どこを探したっていません!また同様に、「ただいま」と言ったら、「あら、今日は随分汚れてきたのね。早く銭湯に行ってらっしゃい。」というような返事をするお母さんもいません!毎年、暮れに近所のみんなで寄り集まり、外で正月のもちを作るという催しだって、今ではもう、やらなくなってしまったのです!現代人にとっては、非常に馴染みにくい我が国の尊い文化ですが、先人たちは、このような生活を、今よりもはるかに長く送り続けてきていました。それが常識で、それが世話物なのです。

でも僕は、初めて世話物を観た時(6,7才の頃)、単純に“面白い”と思いました。上の例のような生活を続けてきた人々の子孫である僕たちにとって、世話物は、「歌舞伎は難解」という先入観なしで観れば言うほど難しくもなく、気づけば、意味を理解した上で笑っているのかもしれない、と思うのです。

『源氏店』は、~与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)~という演目の三幕目のお話です。源左衛門の妾(めかけ)のお富(おとみ)と与三郎の恋を題材にした江戸の世話物で、一幕目では二人の出会いが描かれています。

二幕目で、お富は源左衛門の外出中に、内緒で与三郎を家に招待し、そのまま夜を共に過ごします。ところがそのことが源左衛門にバレてしまい、急いで引き返してきたので、追い詰められたお富は、海へ身投げをします。一方与三郎は、源左衛門とその子分達になぶり切りにされ、気絶したまま、海に放りこまれます。幸い、お富は通りかかった漁船に助けられ、与三郎もまた、一命を取り留めます。

こども歌舞伎「与話情浮名横櫛 源氏店の場」それから三年……、
お富は助けられた漁船の船長・和泉屋の番頭多左衛門の自宅でお世話になっていました。そこへ、ごろつき仲間の蝙蝠安(こうもりやす)と共に与三郎がやって来るところから、『源氏店』が始まります。

お稽古は、役の心情を理解することはもちろん、“歌舞伎っぽくない、自然な言動を意識しながら演じる”という、前回と全く違う領域の事も重視しながら励んでおります。
今まで歌舞伎を観た事がある方も、初めて観るという方も、まるで録画していたドラマを見るような気持ちで、先入観なしでご覧になってみてはいかがでしょうか。僕たちも、その為に精一杯精進し、臨んでいきます!

《続く》

(Reported by Kosho Shiina[若草歌舞伎])