歌舞伎ではいくつものお話をつなげて出来ている長い一つのお話を、一度に上演することはあまりしません。
たいてい1~数個のお話だけを抜き出して上演します。
これを「一幕上演」と言ったりします。面白いですね。
またお話の前後を観客は知っていることを前提として、上演されます。
ちなみにお話の最初から最後まで全てを通して上演する場合は、題名の前に「通し狂言」と書きます。
さて今回の演目の一つ、「車引」。
これは「菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)」という長いお話の中の一幕を抜き取った演目です。
お話の詳しい内容は演目のあらすじのページに書いてあるので、ここでは省略します。
出てくるキャラクターは主に5人。
梅王丸、桜丸、松王丸、藤原時平(ふじわらのしへい)、杉王丸です。
この5人、なかなか個性的な顔つきをしています。
梅王丸、桜丸、松王丸は白塗りに赤色の筋、杉王丸は茶色っぽい色、そして藤原時平は青い筋でちょっと怖い感じのお化粧です。
こんな顔をした人、今はもちろん、昔も実際にいたわけではありません。
舞台にキャラクターが出たときに、一目でそのキャラクターの性格をわかるようにした、歌舞伎独特の表現なのです。
このお化粧を「隈取り(くまどり)」と言います。
では、一人づつ説明していきましょう。
◎梅王丸
赤い色をした「筋隈」といい、江戸で発達した江戸歌舞伎の表現方法の特徴である「荒事」の代表的な隈取です。荒事とは悪人を懲らしめ弱い人々を助けるヒーローが活躍するお話のことです。江戸っ子は正義感あふれる強いヒーローが出てくるお話が大好きでした。
そして赤色は若さ、正義感、血気盛ん、怒りなどを表し、見ただけで力強いエネルギーがみなぎっていることがわかる顔です。
梅王丸が仕えている主人、菅原道真公を大宰府左遷へと追いやった敵の時平に対する怒りに満ちた表情であることがわかります。
◎桜丸
「むきみ隈」といいます。赤い筋なので梅王丸と同じく、若さや正義感を表します。
桜丸は優しさや柔らか味を感じさせる美男子ですが、江戸歌舞伎の上演方法にならい、荒事の強さも感じさせるお化粧をします。
3兄弟の中では比較的穏やかな性格を、抑えたお化粧で表現しています。
◎松王丸
「二本隈(にほんぐま)」といいます。
赤色を使うので力強さの意味は筋隈と変わりませんが、筋隈よりも落ち着きがあり、堂々と肝の据わった器の大きな人物に使われます。
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◎藤原時平
「公家悪(くげあく)」と言われ、公家(昔の貴族)など身分の高い悪役、妖力を使う者を表します。
ただの悪者ではなく「国崩し(くにくずし)」という一国の存亡にかかわるほどの悪事を働く悪者、と言われるくらいの敵役です。
藍色の隈で、冷酷さや不気味さを表しています。
劇中でも、時平に立ち向かおうとする梅王丸桜丸を妖しい力で押しのけてしまいます。
◎杉王丸
上の4人が白地に赤や藍色で隈を描くのに比べ、杉王丸はちょっと色黒っぽく見えます。
これは顔を赤っぽく塗る「赤ッ面(あかっつら)」といって、大悪人の手下役に使われます。
これに桜丸と同じむきみ隈を描いています。
でも敵方の役とはいえ、よく見るとかわいらしいく見えませんか?
さて主な5人の顔について説明しましたが、車引にはもう一人お化粧をしている人物が登場します。
雑式(ぞうしき)という、金棒を引いて「今から時平公がここを通るぞ」と触れて歩いて来る人物です。
画像をよく見ると、眉毛と口の周りに文字のようなものが見えませんか?
なんと、雑式を演じている役者の名前を書いているのです!
彼の顔は「ばか隈」という、おもしろい名前の隈取りです。
隈取りでキャラクターの性格がわかるような約束ごとがあると書きましたが、彼のように隈取りで遊ぶことも、歌舞伎には時々あります。
今日の公演では、雑式の顔には何が書いてあるでしょうか?お芝居を見る楽しみの一つになりますね。
公演のお化粧は、こども歌舞伎では講師の先生方が。若草歌舞伎では本人たちがお化粧をしています。
同じ隈取りでも描く人や顔つきによってそれぞれ味わいが異なることでしょう。
舞台を鑑賞しながら見比べてみるのも、おもしろいかもしれません。
さて歌舞伎ではお化粧することを「顔を作る」とも言います。せっかく頑張って作った顔ですが、お芝居が終わったらすぐに落としてしまいます。もったいないですよね。
実は、写真に撮っておくこと以外にも取っておけるいい方法があります。
それは「押し隈」です。羽二重(はぶたえ)という薄い着物の白い生地に顔を押し当てて、お化粧を羽二重に移すのです。
伝創館の公演でも、過去に車引を上演した時に押し隈をし、キャストの記念にと持ち帰りました。
今回も上演後の楽屋で押し隈をします。
これも歌舞伎ならではの慣習なのです。