《 梅は飛び 桜は枯るる 世の中に なにとて松のつれなかるらん 》
「車引」が『菅原伝授手習鑑』という長いお話の一部分であることは、前の解説でお話ししました。この長いお話を通しての主人公は、梅王丸・松王丸・桜丸という三つ子の兄弟です。3人の名前になっている「梅・松・桜」は、道真公が愛した3本の木から付けられたといいます。
上の句は車引の後のお話で道真公が読んだ句です。この句に読まれた梅松桜が、菅原伝授手習鑑を通して3兄弟の運命を物語ります。
3人は菅原道真の時代(平安時代)に実在した人物ではなく、お芝居の初演当時(江戸時代)に大阪で誕生した三つ子をモデルに、道真公にゆかりある人物として描かれました。
当時のことわざに「三つ子を産めば舎人(とねり)」というものがありました。舎人とは高貴な身分の人の警護に当たったり雑用をこなしたりする職業のことです。
お芝居でも3人はそれぞれ、梅王丸は道真公、桜丸は道真公が仕えている天皇の弟君斎世親王(ときよしんのう)、松王丸は敵の藤原時平の舎人として仕えています。
【梅は飛び】
道真公が藤原時平の裏切りによって大宰府へ左遷されるとき、自宅の庭に咲く梅の木に「東風吹かば 匂いおこせよ梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」(暖かい風が吹くころになったら匂よ香ってくれ梅の花よ この家の主がいなくなったとしても春を忘れないでおくれ)と声をかけたといいます。
それから梅の木は、道真公をしたって一夜のうちに大宰府へ飛んで行ったといい、「飛び梅伝説」となりました。その梅は現在も福岡の太宰府天満宮の拝殿近くで咲いています。
このエピソードをもとに作られたのが現在あまり上演されませんが「筑紫配所の段」という演目で、梅王丸は道真公のために大宰府を訪れます。梅王丸は自分の主人のためにとてもパワフルに動き回るのです。
また梅と道真公はとても縁が深く、今でも「○○天神」と名前が付く神社には梅の紋があります。みなさんも大事な試験の前には近くの天神様にお参りに行くと思います。天神さまには菅原道真公が神様として祀られています。その時にちょっと気にしてみてください。梅の紋と梅の木が必ずありますよ。
【桜は枯るる】
さて道真公の庭には、桜の木もあったといいます。でも太宰府に発つ日、梅の木には声をかけたのに桜には何も言わずに行ってしまい、それを恨みに思った桜の木はほどなくして枯れてしまいました。
実は三つ子の末っ子桜丸は「車引」の後のお話「賀の祝」で、道真公流罪の原因となった責任を取って切腹して亡くなってしまいます。
流罪の原因となった事件は「車引」の前のお話「加茂堤」で描かれます。
道真公の声掛けはまるで桜丸の行く末を暗示しているかのようですね。
【なにとて松はつれなかるらん】
さて松王丸は藤原時平に仕える身でありながら、本当は道真公に仕えたいと思っていました。そして「寺子屋」というお話の中で時平公のもとを去る決心をするのですが、道真公の後を追う松=松王丸となったといわれています。これには、「道真公を思って梅王丸は大宰府へ飛び、桜丸は切腹してこの世を去った。残った私は何をして道真公のためになることをすればいいのか」という松王丸の心情も重ねあわされているように見えます。
ちなみに、松王丸ものちに道真公への恩義のために起こしたある行動のために、自害して果ててしまいます。
このように3兄弟を主人公にした菅原伝授手習鑑という長いお話は、実在した菅原道真という人物を中心に据え、それにまつわる3本の木の言い伝えをモデルにして作られました。
3人には敵味方に分かれ、主人のために命を懸けて果てていく悲しい運命が感じられます。
梅・松・桜は日本人にとってとても愛着のある木であり、古くから神様の宿るものとして大切にされてきました。伝説、神様、兄弟の悲運を織り交ぜ、日本人独特の感性によって作り上げられたお話でもあるのです。